「ぬし、これはなんぞや?」
「ん? ああ、カカオ豆だな」
「……カカオ?」

 行商の途中で立ち寄った港街で、ロレンスとホロは露店めぐりをしていた。
 それと言うのもホロが「美味い物が食べたい」と着いた先の宿で不貞腐れたからだ。
 ロレンスは露店に出されたカカオ豆を一撮み手に取ると、顔に近づけその匂いや色を見る。

「旦那、どうです? こいつは遂先日、南の大陸から輸入されて来たばかりの上等な豆だ」
「う〜ん、良い匂いじゃの」

 ホロはロレンスの持っていた豆を一粒摘むと味見とばかりにそれを口に放り込む。

「む、むぐっ!! ――ゲホッ、なんじゃこれは!?」

 顔を真っ青にして、ロレンスや店主の方を向くホロ。
 その様子にロレンスはやれやれと頭を掻くと、ホロの方にカカオ豆を見せ、注意する。

「これは、このまま食べる物じゃない。ちゃんと調理しないと」
「……調理? そうすると美味いのかや?」
「うん、まあ……」

 そこでロレンスは口を紡ぐ。カカオを原料としたチョコレートと言う菓子があるにはあるが、このカカオ豆とて相当に高価な物なのだ。
 市場にこうして出回るようになって来たとは言え、主に口にするのは金持ちか貴族、王族くらいなものだ。
 ホロにこの事を話せば、財布の中身がどれだけあっても足りはしない。

「いや、まあ、味は大した物じゃない。主に滋養強壮に良いと言われてる……薬のような物だ」
「お嬢ちゃん、こいつはな……」

 ――ギロッ!

 物凄い目で睨み威圧してくるロレンスに、店主は思わず口に出そうとしていた言葉を引っ込め、腰を下ろす。

「ほら、ホロ、あっちにお前の好きなリンゴがあるぞ。あれなら、どうだ」
「ぬし……最後の言葉の前に少し間があったな」
「――ギクッ!!」
「以前にわっちが言った言葉を覚えておるか? 狼の耳はいい。わっちは簡単な嘘くらいなら聞き分けられると」

 ホロは顔を下に向けている為、店主やロレンスからは表情を見れないが、その言葉に静かに怒気が篭っている事を二人は感じ取っていた。

「……店主殿」
「は、はいっ!!」

 思わず大声で返事をし、素早く立ち上がると直立で構える店主。

「うちのぬしさまはどうも見る目がないと見える。わっちにこれがどう言う物か、教えてくれるかや?」

 そのホロの笑顔に逆らえる者は、その場には誰もいなかった。





狼と香辛料バレンタイン&ホワイトデーSS「狼と甘い菓子」





 宿に帰ったホロは宿の調理場を借り、店主に教わったレシピを元にチョコレートの調理にいそしんでいた。
 隣では熟練の主婦でもある宿の女将が、ホロの様子を微笑ましく見守り、手を貸している。

「そうそう、そこでミルクを入れてゆっくりと丁寧に掻き混ぜる」
「ふむ、良い匂いがしてきたの〜」

 ホロは部屋中に立ち込める甘い匂いにつられ、帽子の中に隠れている耳をピコピコと動かしていた。

「しかし、思い出すね〜、私も若い頃は旦那に作ってやったもんさ」
「チョコレートを贈ったのかや?」
「ああ、そうだよ。この辺りの風習でね。チョコレートは愛の印、女性から男性に愛情を表現するときにする贈り物なんだよ」

 チョコレートはカカオを原料としている為に、その価値が高い。
 それ故に一般には浸透せず、主に金持ちの趣向品とされていることが多い。
 だが、元々、南の大陸との貿易が盛んだったこの街は、他所の地域に比べてカカオの値段が比較的安く、一般的な家庭でも日々の生活を慎ましく送れば、何とか捻出して買えるくらいの値段だった。

「知らなかったのかい? あの一緒に居た、若い男性にあげるんだろ?」
「――!?」

 顔を真っ赤にして、先程の露店の店主とのやり取りを思い出すホロ。
 カカオ豆を購入した後に店主が見せた、あの視線と笑いの意味を悟ったホロは、一杯食わされたと思い羞恥心で更に顔を赤く染める。

「おやおや、やっぱりそうなんじゃないかい」

 ホロの様子を勘違いした女将は、からかう様に軽く言うと、ホロの持っていたヘラを手に取り、鍋をコトコトとかき回す。

「こうしてね、愛情を込めていくんだ。元気で居て欲しい、無事に帰ってきて欲しい、その人のことを大切に思いながらゆっくりと」

 そうして、ホロは気付く。この宿に来てから店主の姿を見ていないことに。

「御店主は……」
「うちの主人も元々、行商人でね。この宿はそんな主人が残してくれた大切な贈り物なんだよ」

 鍋をかき回しながら、本当に優しく微笑む女将の姿を見て、ホロからも先程までの羞恥心に駆られていた表情が消え、優しい笑顔が戻る。

「わっちにもやらせておくれ」

 そう言って女将から受け取ったヘラで丁寧に鍋をかき混ぜるホロ。
 その頭の片隅には、意地っ張りで、格好つけで、少し頼りない相棒の姿が浮かんでいた。






「ううぅぅ……寒い。懐も寒い」

 ロレンスは宿の部屋で、帳簿をつけながら頭を掻き毟っていた。
 ホロの我が儘に付き合い、カカオ豆どころか、ミルクや砂糖などを買わされ、ロレンスの財布は寂しい音を奏でている。
 時々出るホロの欲求もとい食欲は、ロレンス一家の家計を圧迫するのには十分な金額と量だった。
 とにかくホロはよく食べる。あの小さな身体にロレンスの十倍は入ろうかと言う量の食事を平気な顔で平らげる。
 元が狼の化身なのだから、あのサイズで比較するのは可笑しいのかも知れないが、味には五月蝿く、食べる量も半端じゃないことから、ロレンスの中での狼の見方が変わりつつあった。

「狼と言うものは、皆、ああなのか……」
「……狼がどうしたんじゃ?」
「うわ――っ!!!」

 背後に何時の間にか立っていたホロに驚き、椅子から転げ落ちるロレンス。
 ホロは持っていた盆を机の上に置くと、ロレンスに手を差し出し、起き上がらせる。

「すまない……」
「まったく、陰口なら本人が居ない時にするもんじゃ」
「いや、しかしだな。カカオ豆にミルク、砂糖と幾らしたと思ってるんだ!?」
「細かい男は嫌われるぞえ」
「……商人が金勘定に五月蝿いのは道理だ」

挿絵
 ホロは机に置いていた盆から二つのカップを取ると、片方をロレンスに差し出す。

「熱いから気を付けやんせ」
「う、うむ……これは?」
「ホットチョコレートと言う物らしい、わっちがここの女将に教わって作った」
「お前が……!?」

 思わずホロが作ったと言う事実に驚愕の表情を浮かべ、大声で反応してしまうロレンス。

「わっちが料理するのが、そんなにおかしいかやっ!?」
「いや、そうではない……だが、しかし」

 何か不思議なものを見るようにホットチョコレートの入ったカップを見詰めるロレンスにホロは――

「愛情を込めて精一杯作ったと言うのに、ぬしさまはわっちの作った物は口に出来ないとおっしゃる……
 わっちはそれほど嫌われてるんでありんすか?」
「ぬう……」

 わざとらしく視線を逸らし、悲しそうに言うホロにロレンスは観念し、カップに口をつける。
 その様子を横目でジッと見詰めていたホロはロレンスから返って来るであろう言葉を待った。

「……甘いな」
「……ハ?」

 素直に味の感想を一言「甘い」とだけ言うロレンスの不器用さに、ホロは全身をプルプルとさせ、行き場のない怒りをロレンスへと向ける。

「……それだけかえ?」
「いや、そうだな。うん、カカオ豆もミルクも上等な物を使っているしな、美味いと思うぞ」

 的外れな答えを耽々と述べるロレンスにホロの怒りはどんどんと膨らんでいく。

「ぬしは、本当に女心という物がわかっとらんの? 普通、こう言う時は『ありがとう、ホロの想いは受け取った』くらいの言葉が何故言えん!!」
「いや、あ、ありがと?」
「今更遅いわ――――っ!!」

 ――ドガンッ!!

 ホロの抜き放った拳がロレンスの顔面を捉え、そのショックでロレンスは後ろへと倒れこむ。

「まったく、不愉快じゃ!」

 ――バタンッ!!

 勢い良くドアを閉め、外へと飛び出すホロ。
 ロレンスはホロに殴られ、赤くした顔をさすり、自分の不器用さを今更ながらに後悔していた。

「失敗したな……」






「まったく、あれでは口先だけのそこらの男の方がまだマシではないか」

 宿の屋根に上がり、夜の街に咲くランプの明かりを見据えながら、ホロは寂しそうに膝を抱えていた。
 下では多くの人々の楽しそうな声が聞こえてくる。
 自分はこんなところで何をやっているのだろう。そう、考えるとホロの胸には、どうしようもないやるせなさが込み上げてくる。
 ロレンスにただ望んだことは、たった一言だったのに、それも今では叶わない。
 しかし、いつまでもこうしている訳にもいかない。 部屋ではおそらくロレンスが待っているだろう。
 今更ながらに思いっきり殴ってしまった事を後悔するホロだったが、どんな顔をしてロレンスに会えばいいのかわからず思い悩む。

「綺麗だな」
「――!?」

 考え事をしていたせいか、嗅ぎ慣れたロレンスの匂いだったのもあったのか、屋根にロレンスが上がってくるまでホロは存在に気が付かなかった。
 しかし、先程はあれほど激しく喧嘩をしたと言うのに、ロレンスが追って来てくれたと言うだけで、ホロには嬉しさが込み上げてくる。

「……何しにきたんじゃ?」
「その……さっきは悪かったな。無神経な発言だった、だから謝る」

 ロレンスはホロに頭を下げて謝罪すると、その手に持っていた包みをホロに渡す。

「なんじゃ、これは?」
「干したリンゴを、小麦粉と牛乳を混ぜて練った物に、細かくして加えて焼いたものだ。この地方に伝わる菓子だな」
「わっちはこんな物で買収されん……」

 そう言いながらも、甘い匂いに誘われしっかりと包みをロレンスから受け取るホロ。

「ここの女将さんに教えてもらってな、チョコレートを贈られた男性は相手の女性にその想いを込めて菓子を返すそうだ」
「……これにはぬしの想いが宿っていると?」
「まあ、俺は不器用で満足に料理もできんが、それでもお前に対する想いは本物のつもりだ。こう言う物は贈る物の気持ち次第だろ」

 精一杯、振り絞った言葉で言うロレンスにホロは口元を緩めると「六十点じゃな」と笑顔で返した。

「ほれ、ぬしも食え!」

 包みから取り出した菓子を二人で頬張りながら、その甘い夜は過ぎていく。
 オレンジ色のランプが灯る街並みを見下ろしながら、狼と商人は肩を寄せ合い、ただ静かに寄り添っていた。





…………END







 あとがき

 193です。やっちまった!! 狼と香辛料の甘々SS!!!
 ええ、ホロ信者です。ホロ好きですとも〜!!! わっち可愛いw
 最近、仕事で疲れていたので栄養補給したかったのです。
 実は狼と香辛料のSS、密かに書き溜めております。
 どの程度の反響があるかもわかりませんし、紅蓮と黒い王子の連載もありますから表に出すかはまだ未定ですが。

 今週でおそらく企画SSは出しつくしました。
 来週は最終なので気力があればやるかもですが、あまり期待なさらないで下さい。
 え? 期待してないって?




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